最高裁判所第三小法廷 平成3年(行ツ)142号 判決 1992年4月28日
広島県竹原市忠海町五二〇七番地
上告人
吉田松右衛門
右訴訟代理人弁護士
椎木緑司
広島県竹原市竹原町北堀一五四八番地の一七
被上告人
竹原税務所長 白川績
右指定代理人
畠山和夫
右当事者間の広島高等裁判所昭和六一年(行コ)第五号所得税更正処分等取消請求事件について、同裁判所が平成三年四月一〇日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人椎木緑司の上告理由第一点について
所論は、原判決につき、原審において新たに主張された本件事業所得の金額についての判断を示さず、所得税額を確定しないで、控訴を棄却したのは、訴訟物についての判断遺脱等の違法があるというものである。しかしながら、本件事業所得の金額については、本件所得税更正処分の違法事由の一つにすぎず、独立した訴訟物をなすものではない。所論の点に関する原審の措置は、正当として是認することができ、所論の違法はない。論旨は、独自の見解に立って原判決を論難するものであり、採用することができない。
同第二点について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に立って原判決を論難するものであり、採用することができない。
同第三点について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、真実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八五条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 可部恒雄 裁判官 坂上壽夫 裁判官 貞家克己 裁判官 園部逸夫 裁判官 佐藤庄市郎)
(平成三年(行ツ)第一四二号 上告人 吉田松右衛門)
上告代理人椎木緑司の上告理由
第一点 判断の脱漏又は齟齬――判例違反
一、第一審判決の理由中、二の冒頭において、
「広島更科の事業による所得の金額が被告主張のとおりであることは当事者間に争いがないので、同所得が原告に帰属するものであるか否かについて検討する。」
としており、事業所得の帰属のみにつき判断し、事業所得の金額については、なんら判断をしていないことは明白であり、さらに原審において、右所得金額に争いがないとして、判断されなかったことについて、上告人は強い不満を持ち、自白したことそのものを争い、予備的に自白したとしてもこれを撤回する旨表示して、結局新たに所得税額に対する裁判所の判断を求めるための請求を、右帰属に対する予備的請求として追加している。
二、このように第二審における新請求に対して、二審判決で判断をするときは、これと異なる判断をし、控訴を認容し、一審判決を取消す場合はいうまでもなく、たとえ結論が一審判決と同様に考えられたときでも、主文で控訴を棄却するのではなく、第二審としての裁判をすべきである。
これにつき、御庁昭和三一年一二月二〇日第一小法廷判決(民集一〇巻一二号一五七三頁)は、
「<1> 控訴審で訴の変更によって新訴が係属した場合に、新訴については、控訴裁判所は事実上第一審としての裁判をすべきであり、たとえ新訴に対する結論が旧訴に対する第一審判決の主文の文言と合致する場合であっても、控訴棄却の裁判をすべきではない。
<2> 訴の変更において、旧訴を撤回する旨の意思表示がなされても、旧訴について民訴第二三六条の定める取下の要件を具備しない場合は、裁判所は旧訴についての判決をすべきである。」
旨判示し、引続き、
御庁昭和三一年一二月二〇日第一小法廷判決(民集一〇巻一二号一五八一頁)、
御庁昭和三二年二月二八日第一小法廷判決(法律時報九巻四号七七頁)
も同趣旨の判決をしているので、御庁の確立した判例ともいえるものであり、これらは「原判決は新訴について『控訴人の請求を棄却した第一審の判決相当である』との理由で控訴棄却の判決をしているのであって、ひっきょう原判決は新訴に対する裁判として、全然これと訴訟物を異にする旧訴に対する第一審判決を確立せしめる効果を生ずるに至る判決をしたことになるのであり、この点は違法であって、原判決は破棄を免れない」旨判決している。(岩松三郎「民事裁判における判断の限界」参照)
三、本件においては、第二審において新たに事業所得の金額の判断を予備的に請求し求めるのであって、この点については何等判断を示さなかった原判決の主文をそのまま維持したのでは、前記判例の趣旨に反し判断を脱漏したものとして違法であり、原判決は到底破棄を免れないと思料する。
第二点、民事訴訟手続の違背
一、原判決第二、一、(自白の撤回)で示しているように、控訴人は
「原審の第二回口頭弁論調書には、控訴人の原審訴訟代理人が「本件においては、所得の帰属のみを争うものであって、その金額については争わない」と陳述した旨の記載があるが、控訴人は原審において、本件更正処分等の基礎になった広島更科の事業所得金額(以下「本件事業所得金額」という。)について被控訴人主張金額を認めたことはない。
すなわち、控訴人は、本件更正処分等がなされた当初から、広島更科の事業所得の帰属主体と事業所得金額の両者を強く争ってきたものであり、控訴人の原審訴訟代理人も、原審において、右両者を共に争う旨主張していたもので、後者についても突如争わない態度に出るのは極めて不自然といわなければならない。
右経過からすると、控訴人の原審訴訟代理人は、原審裁判所の訴訟指揮により、右事業所得の帰属主体の問題を先行審理し、その後に本件事業所得金額の問題を審理することに同意したものであって、右同意をしたことが、本件事業所得金額については争わないと述べたように誤って理解され、前記の調書上の記載になったものと思われる。したがって、広島更科の事業所得金額については自白は成立していない。
仮に、控訴人が原審の第二回口頭弁論期日において前記陳述をなし、これが本件事業所得金額についての自白に該当するとしても、右自白は事実に反し、かつ、錯誤に出たものであるから、当審の第六回口頭弁論期日において、撤回する旨の意思表示をした。
すなわち、被控訴人は、本件事業所得金額について、仕入価額を捕捉したうえ、売上高を検討し、右売上高から所得額を推計したと主張しているが、被控訴人が算定の基礎とした売上品目の中には広島更科が第三者に委託して販売したものが含まれ、仕入品の中には腐敗したり、盗難にあったものもあり、また、必要経費の認定に当たり接待費用等の支出を落としているなど、被控訴人の本件事業所得金額の推計は、真実に反するものである。そもそも、裁判上の自白の撤回が原則として許されないのは、右自白の効果を期待した相手方の保護にあると解されるところ、本件は、その相手方が強力な調査権限と保管能力を持った税務署長であり、真実発見を旨とする税務訴訟の制度的要請からも、自白の撤回は自由に許されてよく、少なくとも事実に反することの証明があれば自白の撤回が許されると解されるべきである。
また、何人も真実に反する事実を、事実の誤認なくして主張する筈がなく、自白された事実が真実でないとの証明がある場合には、特段の事情がないかぎり、錯誤に出たものと推定すべきであり(最高裁判所昭和二五年七月一一日判決民集四巻七号三一六頁等参照)、本件においては、控訴人が真実に反する本件事業所得金額を自白するについての特段の事情は見当たらない。
と主張し、かつその旨表示されている。
二、控訴人本人が所得の帰属のみならず、所得の金額についても具体的、個別的に強く争っていたことは、原審準備書面(昭六二、一〇、一四付、同六三、二、一付、同六三、四、一一付、同六三、五、二七付、平元、一〇、七付、同元、一二、六付、同二、二、七付、同二、四、二七付、同二、九、五付各準備書面)において具体的に主張しており、かつ同人は前審たる国税不服審判所において強烈にこれを主張して止まなかったことは、甲第二二号証の一、二及び第二六号証裁決書において明らかであり、さらに同人作成の甲第二一号証報告書、証人吉田松樹、同吉田基の証言に照らし顕著な事実である。
つまり、本人の意思としては、前記判決が記載しているように、「本件においては所得の帰属のみを争うものであって、その金額については争わない」というようなものでは到底なく、右については記載した書記官の誤解か、又は訴訟代理人中場弁護士が、先に帰属を争い、右決着後金額を争うという態度に出たために右のように記載されたものに相違ないと思われ、控訴人本人が従前の態度を急変して自己に不利益な態度に出ることは、極めて不自然かつ不合理に過ぎるのである。
三、本件において、更正決定した課税所得金額は金四〇、八二三、〇〇〇円で、これに対する算出税額は金二一、八四二、九五〇円、重加算税金六、五五二、六〇〇円、合計二八、三九五、五五〇円という大金であり、しかもその帰属をも争う以上、その金額だけを認めるということはあり得ず、事実前記のとおり異議の申立や審査請求をし、具体的事実を挙げて抗争しているとおりである。
しかも、相手方の課税金額を争わないということは、後からその不可抗争効力を生じ、少なくともそう簡単に認められるわけのものではないのである。
民事訴訟法第八一条二項は、「訴ノ取下、和解、請求ノ抛棄若ハ認諾若ハ第七十二条ノ規定ニ依ル脱退」等は代理人の特別授権事項と定め、一般授権事項より例外の重要事項として個別的に授権を要するとし、また同法第八四条は、
「訴訟代理人ノ事実上ノ陳述ハ当事者カ直チニ之ヲ取消シ又ハ更正シタルトキハ其ノ効力ヲ生セス」
と規定しているが、これは事実関係は本人の方がよく知っている筈だからこの方を尊重するのが当然とする考え方によるもので、特に不利益な陳述に関してはなおさらである。
四、自白が誤っていた場合に爾後に撤回できるか、また、いかなる要件のもとにそれが許されるか、については明文の規定はない。
これに対しドイツ民訴法二〇九条は明文の規定を置いて自白の撤回を認め、ただ、自白が真実に反しかつ誤解に出たことを証明することを要件としている。
そこで、わが国の判例もこれにならって、原則として不真実と錯誤の証明を要件として、これを認める態度をとっており、(大審判大四、九、二九(民録二一輯一五二〇頁)同大一〇、一一、二(民録二七輯一八七二頁)同大一一、二、二〇(民集一巻五二頁)同昭一五、九、二一(民集一九巻一六四四頁)最高判昭和三三、三、七(民集一二巻四六九頁)その他)さらに、実際の運用面ではその適用を種々の角度から緩和してきており(三ケ月章、判例研究四巻一号一五六頁)、例えば、相容れない事実の主張があれば、暗黙の取消があると認め、又は、真実に反する証明をすれば、当然錯誤の証明があったと認めるもの(最高判昭二五、七、一一(民集四巻三一六頁))等がある。
三ケ月教授は右傾向について、建前としては右二段の証明を要するが、具体的な適用に当たって、錯誤の要件につき、当事者の法律的知識や自白の内容等に検討を加え、協力的な運用を肯認して事案に則した解決を計るべき旨の提言をされ(同著民事訴訟法二九二頁)、竹下教授も「一旦自白がなされた後においても争いが生ずれば、出来得る限り実体的な真実に即した裁判がなされるよう、自白の効力を制限していくべきで、一方で訴訟の迅速な解決にとっての自白の技術的有効性を建前とはしながらも、他方、徒らに自白の拘束性を厳守して裁判の適正を失することのないようにすべきであると提言しておられる(民商法雑誌四四巻三号四八五頁)
五、自白の撤回につき制限を設ける趣旨は、要するに、主張の制限による訴訟の促進的効果と、その効果を期待した相手方の保護(相手方が撤回に同意すれば無制限に可能)にあるのであるが、そのために訴訟の最大目的である実体的真実を曲げては「角をためて牛を殺す」の諺通りで、到底許されないのである。
既に、裁判所としても、前記国税不服審判所の裁決書(前記甲第二二号証の一、二、乙第二六号証)によっても、一見明白なことであるから、形式にとらわれず、実体的真実を探究して、納税者側の上告の主張や立証を認め、これを尽くさせるべきである。
それでこそ、司法裁判所に行政訴訟を認めた趣旨に合致するものであり、徒らに制限と促進を強調するばかりでは、能力の弱い人民権利救済とはおよそ程遠い結果となるのである。
ところが、原審は、一旦控訴人の右所得の金額に関する主張及び立証を許し、審理しておきながら、さて判決となると右自白の拘束力を承認し、被控訴人が、単に「仕入額を捕捉し、それを基に売上を推計し、さらにその売上により所得を推計計算した」と主張し、極めて不確実な把握方法をとっていることは顕著であり、しかも、かかる推計計算をした原因に、控訴人が帳簿書類、その他の資料を保存していなかったと主張しながら、反面、多くの帳簿類や資料を押収しており、相矛盾していることが顕著であることを全く没却し、さらにこれに対し、控訴人がその不当性を主張し、具体的計算及び根拠を主張して昭和六二年一〇月一四日、同六三年二月一日付準備書面に記載陳述した具体的事実を無視し、控訴人の主張としての真実適示もせず、ましてや判断もしなかったことは全く違法であり、判断脱漏あるものである。
右具体的事実適示については右準備書面記載の真実を授用し、末尾にこれらを添付する。
第三点、真実誤認及び法解釈の誤り
一、本件の課税対象である「広島更科」の事業所得の帰属者の誤認
この点はすでに原審において詳細に主張し、昭和六二、一〇、一四付、同六三、五、二七日付、平成元、一〇、七付、同元、一二、六付、同二、二、七付、同二四、二七付、同二、九、五付各準備書面において主張したので、これを授用して末尾に添付する。
原判決はこれについて深く検討することなく、若干の補充をしたうえ、一審判決をそのまま援用し、特に
「広島更科における田畑きとの立場は、表向きの名義を貸しただけで、到底経営と認められるものでなく、一方控訴人は、その具体的活動内容からして経営を委託された支配人としての立場を遙かに超えた実質的経営者と認められる」
旨判示しているが、これは抽象的判示で控訴人が挙げる具体的、個別的事由について全然答えていないもので、判断を脱漏しており、原判決維持のために相当の予断があったと言わざるを得ない。
二、上告人は、当時既にホテルや休憩所を経営する吉田産業株式会社を経営し、その面での食堂経営の実績もあり自らが万博の広島更科を経営したいなら、何も「田畑きと」の名義を借りる必要もなく、右吉田産業が自らの名義で万博出店契約も可能であった。
また、田畑きとは竹原市忠海駅前で「更科」と称する食堂を五年以上も経営してきており、他人に名義を貸すだけなら、この「更科」を休んで大阪万博に進出し、これに専従する必要はない筈である。
そして、その娘村田初子も万博の「広島更科」に従事して、ソフトクリーム等の販売をした。
田畑きとは、地方での食堂経営の実務の経験は長いが、大阪という大都市で、しかも万国博覧会場内という特殊な状態に対処するためには、このような経験も知識も少ないから妹の夫であり、右吉田産業を経営して自己よりその方面に詳しい上告人に、支配人として協力することを依頼したに過ぎないのである。
三、従って、甲第一号証のように右田畑は上告人に対し「支配人委嘱契約書」を作成し
<1> 万国博経営参加の準備事務の一切の行為(付帯する経済行為の契約を含む)
<2> 万国博参加の事業の遂行の行の為の一切の行為
<3> 必要な金銭借入及び契約に伴う利潤分配の一切の行為等を委託し、総支配人を命じている。
事実財団法人日本万国博覧会協会(以下「万博」という)は、甲第一九号証以下に示すように、その入店申込者の調査は厳重であり、また経営実績についても、殆ど毎日のように現場の店舗を調査し、売上のレジスター記録も点検するという状態で、若し上告人が実質上の経営者であることが判明すれば、然るべき措置をとっていたに相違ない。
それ故、右万博を直接管轄する大阪府三島府税事務所は昭和五〇年五月二〇日、右田畑きとに対し、「府税の納付について」(甲第四号証)を発し、
「なお、吉田松右衛門氏については、共同経営者として連名で催告したもので、調査の結果、あなたが営業されていたことが判明したので、よろしく御納付下さい。」
と書き添えていることからしても、明白である。
四、また、甲第八号証は経営者田畑きとと支配人たる上告人が、右万博会場内の「広島更科食堂」の開店にあたり、不特定多数の人に配布した挨拶状であり、甲第九号証は万博事務総長も田畑の経営を認め、甲第一〇~一二号証は直接の管轄者である大阪府の府税事務所や保健所等は田畑きとの経営を認めていたが、これらは直接事実を目撃し、監督していた立場であるので、信用できる。
これらの慎重な検討を怠り、単なる名義貸しと認めた原判決は明らかに事実の誤認を犯し、そのため控訴棄却という判決結果に影響を及ぼしたことは明らかであるから、到底破棄を免れないと信ずる。
五、なお、次に重要なことは、所得金額の更正に対する異議の申立に関する事項であるが、第一、二審判決は自白の拘束力を認めて、全然審理の対象とせず、前叙のとおり控訴人の主張摘示にも、判断の項でもこれに触れず、重要な脱漏をしている。
認定金額に対する争いは、前掲準備書面記載のとおりで、これを援用するが、それに先ず原判決を破棄し、原審に差戻された段階でさらに詳細に主張を展開する。
(添付書類省略)